< カメラマン 春日友喜 >
ご覧いただいた1000年の歴史が漂う京都御所。普通では入れない所ばかりですが、宮内庁協力ということもあってか、現地の職員は無理なこともよく聞いてくれました。
調度品や屏風など国宝級がズラリ。撮影も細心の注意を払って、気の休まらない現場でありました。御所内は移動撮影を多用したため、パイプのレールを敷いたり、照明用ライトの運搬など注意が肝要で、特にライトの熱で屏風等変色させないよう、厳重に指示された熱線吸収フイルターなどを張って、万全を期しました。
西びさしの生活の場は、華麗な調度品や品格のある置物等で、近寄りがたい威圧感がありました。一寸想像して見てください。ここに女官の艶やかな起ち居振る舞い上がってくると、うらやむような太古の朝廷生活をずっしり感じませんか。
東びさしは、間仕切りのない広いフロアーになっていて、京都の冬はさぞ寒かったのではなかろうかと、現代庶民は心配にもなりました。紫宸殿に入った所に国の儀式の時に遣う、天皇の御座「高御座(たかみくら)」が今もそのままの姿であり、後に現天皇が即位の折に、東京まで運んで使用したと聞いています。
下賀茂神社の真前に、板塀に囲まれて、目立たないごく普通の京都民家があり、小さな旅館の看板を掲げていた。間口の狭い玄関の土間に入ると「お帰り」とおばあちゃんの静かな声が聞こえてくる。
これが京都の常宿。10人も泊まれば満杯で、何時も相客の姿を見たことがない。おばあちゃんと息子の嫁が切り盛りをしていた。ここが「平安の幻想」の京都基地であり作戦本部であった。
夕食ともなるとスタッフ全員でちゃぶ台を囲み、まず一献と今日の労をねぎらい、いつのまにやら若いおかみやおばあちゃんも一緒になって、話も酒もはずみ、遠慮なく飲み食いしながら、明日のスケジュールも決まってゆく。
実にアットホームな、自宅と変わらない雰囲気のいい宿で、何といってもおばあちゃんの作る食事は家庭的で素晴らしかった。
昨今は取材に行っても、ビジネスホテルでしかもシングルルーム。旅先でも自分たちの生活は崩さないようだ。旅館の雑魚寝にも色々な利点があった。昔からの活動屋の気概や技術の伝承など、小さい杯の中にギッシリ詰まっていたように思うが、24時間気が休まらない若い助手さん達は退屈だったかもしれない。
私は他の作品でもこの旅館以外に知らず、京都のホテルは全然泊まったことがない。当時はまだ市電が走っていて、早朝からガタゴト鉄輪の音を聞いたものだ。時には目覚めてしまい、下賀茂神社の森を朝の散歩とシャレ込んだこともあった。しかし残念ながら廃業して今はない。
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