製作:日映科学映画製作所 企画:日本国有鉄道
1957年 カラー 3分35秒
この作品は国鉄の前原と敦賀間が交流電化された開通式の模様を描いている。
製作:片田計一
脚本・演出:諸岡青人
撮影:川村浩士・野見山務
JR北陸本線敦賀駅から南に1km。敦賀駅の南に、北陸線の上り下りの線路に挟まれた、南北に1km余りの長さの薄い凸レンズ状の区画がある。ここにはJR貨物の敦賀機関区があって、機関車などの基地になっている。このほぼ中央付近に、コンクリートの台座の上に「交流電化発祥之地」と書かれた石碑が建っている。
旧国鉄の交流電化は、まず1955(昭和30)年に仙山線の仙台-作並間での実用化試験(50Hz)が行われ、1957(昭和32)年には、北陸線の敦賀-田村間(60Hz)で主要幹線として初めて実用化された。この事実を記念するため、1958(昭和33)年に発祥碑が建立された。
北陸線の直流/交流電化は複雑な歴史をたどっている。
敦賀-田村間の交流電化の後も、直流区間との接続区間である米原-田村間は、しばらくの間非電化とされ、この区間は蒸気機関車(後にディーゼル機関車)が使用された。
1962(昭和37)年に米原-田村間は直流電化され,田村駅にデッドセクション(架線に給電されない区間)が設けられた。
その後、京阪神地区からの電車を北陸線に乗り入れるため、1991(平成3)年には田村-長浜間が交流から直流に変更された。2006(平成18)年には 長浜-敦賀間も直流に変更され、最初に交流電化された区間は全て直流電化区間となってしまった。
北陸本線の敦賀-糸魚川間は現在も交流60Hzで電化されているが、この線から分岐する七尾線は直流電化、越美北線・氷見線・城端線・高山線・大糸線は非電化であり、糸魚川から新潟側(JR東日本所属)も直流により電化されている。このため、北陸本線の約270kmの区間だけが交流で残されている。
JR西日本は、この区間の為に交直両用電車を多数保有しているが、ローカル用電車の更新時期が近づいているため、交直両用電車の更新を行うのか、この区間を直流化して他線との車両有効活用を図るか、興味深い。