楽しいどうぶつ百科-1

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教育動物東京シネマ新社

作品概要

制作:東京シネマ新社 企画:サントリー
1979年 カラー 12分

ミニ番組「楽しいどうぶつ百科」は、1979年10月から、82年3月まで、東京放送(TBS)により関東エリアで、月曜-金曜日の夕刻5時25分から、放映された。スポンサーサントリーのソフトドリンク部門で、最後の6ヶ月ソニーによった。東京シネマ新社にとって最初のテレビ番組であった。この週の作品も悉く、国際科学映画百科事典、エンサイクロペディア・シネマトグラフィカに収録された映像を使用している。

*ハムスターの地下倉庫
 「E2228 クロハラハムスター 食物と巣材の運び込み」から 西独屈指の野生生物カメラマン、H.ジールマンの撮影になる

*木の葉で作るツムギアリの家
 「E1936 ツムギアリ 巣作りと架橋、食的共生」から 研究者の撮影

*サバンナのスピード競争
 いまだアパルトヘイト政策を行っていた時期の南アフリカの映像 観光PRに熱心でテレビ番組には、大使館が映像を無償提供していた

*ミズクラゲの生い立ち
 東京シネマ新社作品「ムーン・ジェリー ミズクラゲのライフサイクル」から

*キツツキの長い舌
 「E2218 クマゲラ 食物獲得、クチバシと舌の機能」から 西独屈指の野生生物カメラマン、H.ジールマンの撮影になる

スタッフ

プロデュース・ディレクター:岡田一男 
ディレクター:西谷清治 
ナレーター:久米 宏 
選曲:山崎宏 
ポストプロダクション:東京テレビセンター

補足

ミニ番組「楽しいどうぶつ百科」、1979 年 10 月から、82 年 3 月まで、東京放送(TBS)により関東 エリアで、月曜-金曜日の夕刻 5 時 25 分から、放映された。スポンサーサントリーのソフトドリンク 部門で、最後の 6 ヶ月ソニーによった。東京シネマ新社にとって、最初のテレビ番組であった。

1 週間に 5 話、1 ヶ月に 20 話以上を用意する必要があり、半年間で 100 以上の素材テーマを 確保する必要のある無謀ともいえる制作を可能にしたの、1970 年代初めに、公益財団法人下 中記念財団が第 2 の事業として導入した国際科学映画百科事典、エンサイクロペディア・シネマト グラフィカ=EC フィルムの存在があった。

EC フィルムの国際運動、1952 年にドイツ、ゲッティン ゲンの西独国立科学映画研究所所長の G.ヴォルフの提唱で始まり、近代動物行動学の創始者、 コンラート・ローレンツの熱烈な支持もあって、動物行動映像の充実したコレクションとなっていた。 東京シネマ、下中記念財団による EC 日本アーカイブズ立ち上げに参画していた。TV 放映に EC 映像を使用すること、EC の規約上、目的外利用にあたるので原作者の許諾を個別交渉し て制作された。

この企画、広告代理店博報堂の出版社平凡社担当者たちのアイデアから始まった。彼ら、平 凡社の創業者を顕彰する下中記念財団にエンサイクロペディア・シネマトグラフィカが導入された ことを知ると、その活用に TV 番組を考えてくれたのだった。この番組 EC フィルムの存在無しに 始まらなかったが、膨大な映像資産を食い尽くす番組で、2 年半、世界中の優良映像資産を探 索する試練が待ち構えていた。この番組制作中、岡田一男、1 年の半分近くを断続する映像の 収集調査に当て、もう半分を、集めた素材の編集に当てた。英国のサバイバル・アングリアや BBC 自然番組班、米国ナショナル・ジオグラフィック・ソサエティーのストックショットをくまなくチェックし て効果的な映像収集を行った。

岡田、自分に幾つか課題を課した。拙い英語力しかなかったが、通訳に頼らず著作権交渉を 自ら行うこと、ベルンハルト・ジメックの大著、「アニマルライフ・エンサイクロペディア」全 16 巻英訳 版の当該項目を構成・編集に取り掛かる前に必ず読込んでおくことだった。

この当時、完成作品の TV 局納品、未だ 2 インチオープンリールビデオであった。入手した16 mmカラープリントをスティンベック編集機上でテープスプライサーで物理的にカット・アンド・ペー ストして定尺とした。それを巨大な 2 インチ VTR に撮像管テレシネで録画し、その画像を2インチ 4トラック MA 室で、選曲家の音楽録音とナレーション取りをして、それらのミックス音声を2インチ VTR に入れ戻して完パケとした。この完パケ作成時に U マチックの控えを同時作成し、それを今 回デジタル化した。当初、ビデオの寿命、せいぜい 10 年だと考えられていた。40 年も経って、 デジタル化できたことに、正直驚いた。



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