製作:東京シネマ新社/スタジオ・ハンーアーナ・ナフ
2004/2012年 カラー 57分
この作品は、重い内容の記録映像である。そこでは、民族集団を成員の意思と無関係に、丸ごと強制移住させるという、20世紀、1930-40年代の不条理な歴史が、多くの個々人のささやかな幸せを押しつぶした事実を赤裸々に描いている。
1999年第2次ロシア・チェチェン戦争が勃発、大国のエゴが小国の意思を戦争で押し潰し、再びチェチェン人は人口の数分の一を失った。だが、われわれとっては、おぞましい過去を胸に抱きながらも、よりましな未来に向けて、希望を繋ぐことが、より大切なのだ。
チェチェン人女性ジャーナリスト、ザーラ・イマーエーワと在日韓国人作家、姜信子が2004年初夏のカザフスタンで、そうした過去と現在を探った2週間の記録である。内容が余りにも悲惨なことに及ぶため、対照的に中央アジアの風物が最も美しく輝く一瞬に撮影時期を選んだ。
発想のきっかけは1993年に遡る。この年、岡田は1960年代のモスクワ、映画大学留学以来の旧友、ラウレンティ・ソンと語らって、「離散朝鮮民族と多民族共生」に関する国際シンポジウムをカザフスタンで行うことを企画した。
アルマトゥで大集会を催した後、日本からの参加者30名近くはバスで、ラウレンティの郷里、ウシトベを訪問した。数軒の高麗人農家に分宿し歓待を受けての帰途、寒村アイナブラークに差し掛かる坂道を息も絶え絶えに上がっていったおぼんぼろバスは、後輪をバーストし、ゴムの焼けた嫌な臭いをあげて立ち往生してしまった。
全員が降車し、タイヤ交換と告げられた。そこは鉄道線路との踏み切り間際であった。石積みの記念碑があり、南北から建設の進められたトルクシブ幹線鉄道が1930年4月27日、最後の釘が枕木に打ち込まれ、この地点で接続され全通したことが記されていた。それは、感慨深いものだった。
子供時代から幾度となく、亡き両親から、彼らの事実上の新婚旅行で見た記録映画「トルクシブ」とモスクワで行われた完成試写会への感動を聞かされていたからだ。バスがまともに走っていたら、見ることもなく通過したであろう記念碑だったが、この鉄路を巡る、映像と社会主義の世紀-20世紀の理想と現実の乖離にまつわる作品が、何かできないかと思ったのだ。それから10年あまり、この企画を実現した。
演出:岡田一男/ザーラ・イマーエワ
新規撮影:谷口常也
コーディネーター:ラウレンティ・ソン
プロデューサー:岡田一男
出演:ザーラ・イマーエワ/ 姜信子
取材地:カザフスタン共和国アルマトゥ、ウシトベ、クズロルダとその周辺
交わされる言語:ロシア語、日本語、チェチェン語、カザフ語、高麗語
姜信子+ザーラ・イマーエワ著「旅する対話―ディアスポラ・戦争・再生」春風社刊