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製作:東京シネマ 企画:日興証券
1964年 イーストマンカラー 34分
若いファッション・デザイナー俊子の夢は、自分の作品の発表会を開くことでした。
しかし世間は、彼女の考えていたほど甘くはありません。会場の間題、装置の間題、おカネの問題-夢と現実の中、降りかかる苦難をのりこえていく若者の群像をとらえ、明日への希望を高らかにうたいあげます。
この作品は劇映画スタイルの短編作品で、東京シネマとしては異色のもの。製作者も岡田桑三ではなく、映画評論家で戦後の独立プロ劇映画の製作に加わっていた岩崎昶が担当している。この系統の作品としては、同一スポンサーによる「私のお兄さん」(1960年)がある。
ながらくデジタル化のチャンスがなかったが、主役男優、古畑弘二のファンである舞踊家、ジョージ石川氏のご好意でそれが実現した。
古畑弘二は新劇の俳優で、1962年に国際製作されたオムニバス劇映画「二十歳の恋」で、石原慎太郎監督による日本編の主役に抜擢されるなど将来が期待されていたが、病で聴覚を失い1965年に「フランケンシュタイン対地底怪獣」に出演したのを最後に引退し、その後消息不明となった。
「二十歳の恋」は、国立近代美術館フィルムセンターに日本配給された際のプリントや複製ネガが保存されているが、権利関係の複雑さから、公開の見通しが立っていない。なおDVDが存在するのは、トリュフォー監督のフランス編のみである。
製作:岩崎昶
脚本:板谷全子、青山一二三
監督:今泉善珠
撮影:加藤和三
照明:平田光冶
美術:菊地誠
衣装デザイン:平西満江
音楽:池野成
録音:岡崎三千雄
助監督:沢登祥恵
現像:東洋現像所
宮口精二、長岡輝子、南美江、古畑弘二、町田祥子、高原駿雄
この作品は「赤い羽根災害ボランテイア・NPO活動サポート募金助成事業」により、デジタル化配信しています。