制作:北朝鮮国立記録映画撮影所 提供:朝鮮対外文化連絡協会
1968年 モノクロ 10分
米国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が厳しい対立下にあった1968年の1月23日、北朝鮮東海岸の元山沖で、米国の情報収集艦「プエブロ号」(乗組員はロイド・ブッチャー艦長以下83人)が、領海侵犯を理由に北朝鮮軍に拿捕された。その際、乗組員1人が死亡、残りの82人は北朝鮮に抑留され、米国に帰国できたのは11カ月後の同年12月のことであった。プエブロ号の船体は米国に返還されず、現在も首都平壌に係留されている。
この間の同年9月12日、平壌郊外の、乗組員たちが収容されていた施設で、乗組員たちの記者会見があった。北朝鮮政府が、平壌滞在中の外国人記者に会見を許可したからだった。会見場に案内された外国人記者は数十人にのぼったが、これらの外国人記者は、9月9日に平壌を中心に行われた北朝鮮建国20周年記念慶祝行事を取材するために平壌に滞在中であった。
これには日本人記者団4人(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、共同通信)も含まれていた。当時は(今もだが)日本と北朝鮮は国交がなかったため、日本の報道関係者がこの国に入国するのは極めて難しく、日本人記者団4人が訪朝できたのは極めて異例であった。
記者会見に現れた乗組員はブッチャー艦長ら20人。会見は3時間半に及んだが、その中で、乗組員たちは「領海侵犯」を認め、「早く米国に帰りたい」と訴えた。が、帰国後、艦長は「領海侵犯」を否定した。
日本人記者団が帰国してしばらくすると、記者団の受け入れ先だった朝鮮対外文化連絡協会から、朝日新聞記者として訪朝し、プエブロ号乗組員の記者会見にも臨んだ岩垂弘の自宅に記者会見の模様を記録したフィルムが送られてきた。国営の撮影所が撮影したものと思われる。それから51年。ここに公開するのはその一部である。
岩垂氏から託されたフィルムは全10巻だったが、東京光音でデジタル複製できたのはその内の1巻と4巻であった。