赤穂義士講談 堀内伝右衛門物語

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作品概要

撮影/編集:佐伯勝利 講釈師:若林鶴雲
カラー 36分16秒

この映像は国指定重要文化財の八千代座で、赤穂義士慰霊祭の前夜祭で収録されたものである。

講談概要(講釈師の若林鶴雲氏より)

元禄15年(1702年)12月14日、赤穂義士47名は吉良上野介を討ち取ったあと、大石内蔵助を始めとする17名は肥後熊本54万石細川越中守の下屋敷に預けられた。

義士たちの世話役を命ぜられた細川家物頭役、堀内伝右衛門勝重は、彼らを罪人として扱うことなく彼らの手紙を家族へ届けるなど懸命に世話をしたのであった。(その間の義士たちとの会話の詳細などは堀内伝右衛門覚書として現在に伝えられている。)

翌元禄16年2月4日、赤穂義士は切腹となった。その後、堀内伝右衛門は義士たちの遺髪を国許の熊本へ持って帰り、菩提寺である日輪寺に遺髪塔を建立した。そしてその祭祀料として自らの知行地の一部を充てるよう遺言した。

それを任された人々は「堀内組」と称し、現在まで続いている。義士の命日である2月4日は「山鹿義士祭り」として300年以上経った今も行われている。

平成19年2月4日、縁あって山鹿義士祭りで忠臣蔵講談をやらせて頂いた私は、堀内伝右衛門の知名度があまり高くないことに気が付き、その年の8月にこの講談を作り上げ、翌年の義士まつりで初めて披露した。

この映像は、平成22年の義士祭り前夜祭として国指定重要文化財の山鹿市・八千代座でやらせて頂いた記念すべきものである。

今後も折あらば山鹿の誇る真の武士、堀内伝右衛門を語り継いでいきたい。



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