平林信也氏撮影9.5mm作品(1)

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作品概要

撮影:平林信也氏
1929年~1932年 9.5mmフィルム 白黒(無声)

平林信也氏が収録した個人作品。何気ない日常の映像ですら、当時の景観が収録された貴重な作品。非常に古いフィルムのため、復元可能な作品のみをデジタル化した。

No11 復興祭/1/2
この「復興」は関東大震災からの復興。1930年3月24日に開かれた「帝都復興祭」が記録された貴重な映像。企業の協賛も。

No13 大名行列
東京で行われた大名行列。

No14 小鳥の世界
鳥篭の鳥のクローズアップ映像。

No16 箱根 
箱根登山鉄道とケーブルカーが主体で、鉄道マンの撮影らしく、勾配標なども克明に撮影。

No19 日本ライン/1/2(上、下)
犬山の付近の木曽川舟下り、ライオン岩・烏帽子岩など。
木曾川中流部、飛騨川との合流点から犬山市までの約12kmの峡谷をいう。深い木曾谷を出て西流する木曾川が再び古生層を深く浸食して峡谷を形成。奇岩が多く、景観がドイツのライン峡谷に似るところから、大正初期、志賀重昂が日本ラインと命名。定期遊覧船がある。急崖上に犬山城がある。飛騨木曾川国定公園に属する。(ブリタニカ国際大百科事典より)

No22 信州所々
保田での避暑。要塞地帯ですので撮影の許可が必要でしたとのこと。

No24 鶴舞公園
鶴舞公園は、明治42(1909)年に、名古屋市が設置した最初の公園として開園し、令和元(2019)年には開園110周年を迎えた名古屋を代表する総合公園。

配信するにあたって 理事長久米川

私は1934年生まれの85歳。ここでご紹介する映画は、私が生まれる前に撮影されたもので、復興祭なんて初めて知りました。フィルム作品は過去から未来への貴重な贈りもの。これらのフィルムを保管され、当館にご提供いただいた平林様のご家族に、ことに感謝します。

補足 平林信也氏の長男、宏信氏の作成資料より抜粋

この映像は、平林信也が撮影したものです。使われた機材は、フランス パテー社の家庭用小型映画撮影機(パテーベビー)です。

信也は、京都大学工学部機械工学科を卒業してから、三菱造船(現三菱重工業)に入社しましたが、その後、身体をこわしたので退社して療養し、若干の曲折の後、大正の中頃鉄道省に奉職しました。

昭和4年頃、名古屋工場長に栄転することとなり、そのお祝いとして職員諸氏がこの撮影機並びに映写機を贈って下さったものです。信也は元々写真の趣味があり、大正の頃から色々なカメラを使って撮影し、一時は愛好家のクラブにも入っていた位熱中していました。そこで、この機会に本人の希望で、これを頂いたものと思われます。

撮影は昭和4年から7年までのようです。宏信が小学校に入学したのは昭和7年ですが、記録としてはせいぜい2年生位までのものしかないからです。だんだんフィルムが入手しにくくなったのかも知れません。

この映画のフィルムの購入並びに現像の依頼先は、渋谷の鈴井薬局です。スチールカメラ(普通のカメラ)のフィルムの購入・現像・焼付もそちらにお願いしていました。当時は現在のDPE屋さんは、どこにも無かったと思います。この鈴井薬局は大きな店でしたが、渋谷駅前の大十字路の角、現在三千里という薬屋さんのある角にあったのを覚えています。

資料提供:宏信氏の長男、宏幸氏



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