社会 | 芸術・祭り・神事・体育 | 日映科学映画製作所
製作:日映科学映画製作所 企画:貯蓄増強中央委員会
1978年 カラー 29分
この映画は高崎市の文科活動の一環を描いたもので、哲学会館建設運動がモデルになっているようである。関連した内容がインターネットで配信されているのでご紹介する。
高崎哲学堂の設立運動は、1969年(昭和44年)1月、市内の実業家・井上房一郎氏が提唱した「哲学とは、私たちが私たちの社会に賢明に生きようとする願望の学問です。高崎哲学堂は、現在の政治や教育の手の届かぬことを勉強する高崎の寺小屋です」をモットーにして発足した。
井上は昭和5年、久保田宗太郎・住谷啓三郎らの青年たちと新生会を結成して、高崎の文化振興に取り組み始め、事業の傍ら、ブルーノ・タウトを招いて工芸運動を展開したり、高野山の慈眼院を観音山に勧請した。
戦後は、高崎市民オーケストラ(後の群馬交響楽団)の創設と群馬音楽センターの建設運動のほか、群馬県立近代美術館の設立など、高崎の文化創造の重鎮として活躍した。そのまとめが、哲学する心を育て、市民の精神的よりどころとする高崎哲学堂の構想であった。
設立準備会を結成し、新しい知識を学び思索する場として、著名な文化人を招いて講演会を開催した。第1回は昭和44年、増谷文雄の「仏教思想と現代」を開催、平成11年まで320回、月1回の割合で実施している。
講師には、昨年文化勲章を受賞した哲学者の梅原猛の30回を初め、源了圓、湯川秀樹、司馬遼太郎、ドナルド・キーン、芳賀徹、上田正昭、鶴見和子、福永光司などの専門家を招き、内容も歴史から科学まで多岐にわたっている。
昭和55年に財団法人の認可を受け「高崎哲学堂設立の会」と改称、井上が初代理事長となり、翌年から月刊機関紙「よろこばしき知識」を刊行した。高崎哲学堂の設計は、音楽センターを設計したアントニン・レーモンドに依頼、模型も造られているが、井上は「建物があるにこしたことはないが、運動そのものが哲学堂」と語っていた。
平成5年、志半ばで死去、原一雄第二代理事長が運動を継承、現在の会員数は約800人、募金による基金は1億3千万円になろうとしていた。
製作:酒井知信
脚本・監督:片山薫
撮影:高田昭
照明:野村隆三
助監督:渡辺範雄
製作担当:相沢徹
音楽:竹田由彦
編集:中静達冶
録音:米山靖(スタジオ櫂の会)
現像:東洋現像所
望月太郎、大鹿伸一、小林伊津子、中村たつ、浜田寅彦
この作品は、赤い羽根「災害ボランテイア・NPO活動サポート募金」助成事業により、デジタル化配信しています。