科学映画との出会い

小林さんと科学映画

科学映像館理事長・久米川正好

科学映像館理事長
久米川正好

小林さんとは十数年のお付き合いがありました。その間、撮影の合間で本当にいろいろなことを伺い、教わりました。科学映画について、研究について、教育について、戦争についてなどなどです。

私にとっては、公的にも私的にもかけがえのない方でした。ここでは小林さんの映画制作、小林映画ワールドについて赴くままにお話します。勝手なことを書き、失礼な内容となるかもしれませんが、お許しください。

< とにかく科学映画を撮りたい >

小林さんは、とにかく科学映画を製作したいと。機会あるごとに話されていました。明らかになった内容の映像化、教育映画の制作も、大変価値のある仕事です。しかし、小林さんはこれだけは不満でした。自然の謎に迫り、その奥に潜んでいる真理に迫る映像の制作を常に考えていたのです。すなわち、映画の制作は研究そのものでした。

研究より映像化は時に大変なこともありました。新しい発見があっても、映像化できなければ意味がないわけですから。骨の三部作の撮影では、その壁にはばまれ、半年間、1カットの映像も撮れないことがありました。骨が形成されていても、形成の速度が遅くて動きがなければ映像にならないわけです。

従って、映像が撮れたときの感動は、また計り知れないものもありました。しかも生の素材の映像化ですから、想定外の情報が映像に刻まれていることもありました。またこの映像は、観る人によって受け取り方は異なります。映像は観るごとに、視点と関心によって、新しい情報、新しい発見があります。生きた教材ですね。

私たちは、骨3部作の第1作「The Bone」で、初めて骨の生きた営みに触れ、破骨細胞の起源は? 形成は? の疑問が投げかけられました。また破骨細胞の吸収時における骨細胞の運命? 吸収後の破骨細胞の運命? 私たちに与えられた新たな謎であり、研究課題でした。

次いで「The Bone II」の撮影が始まりました。その対象は当然、破骨細胞です。この多核細胞は単核細胞の癒合によることが、映像によって明らかになり、その起源は血液幹細胞由来であることも、世界で始めて明らかにできたのでした。

破骨細胞の撮影で予期せぬこともありました。私たちは先人の結果から、破骨細胞の形成には、ラットまたはヒヒの骨髄細胞にビタミンDを加えて多核細胞を得ていました。2、3週間の時間を要していたのです。当然、私たちもラットを撮影に使いました。

ところが、動物舎にたまたまラットの子供がいなくて、マウスを使った。なんと3日後には立派な多核細胞が。マウスとラットは同じゲッシ類ですが、進化の過程でみられる微妙な差がもたらした結果です。

今、世界中どこの研究室でも、なんの疑問もなく破骨細胞の研究にはマウスが使われていると思います。これを見逃さなかった制作者たちの洞察力に感嘆、感謝。

< 脚本も、音楽も、テロップも、ナレーションも表に出ない映画 >

映画の制作を依頼された時、通常は今回の映画のテーマについて関係者から説明があり、脚本が見せられますよね。そして長時間にわたって打ち合わせが行われます。しかし、小林さんの場合、脚本を見たことも、見せてもらったこともありません。

今度の映画は濡れですね。これはOSTEOCYTEの映画を作った時の一言です。しかし、これも相手によったのかもしれません。実に日本的ですよね。

確かに脚本があると、失敗が少なく効率的に平均的な作品ができあがると思います。しかし、彼の作品では内容を予想できないことが多く、試写でどんな映像が見せられ、どんなストーリーに仕上がっているのか毎回楽しみでした。

撮影現場での小林さん、とにかく根気よく観察を続けます。声をかけることもできない雰囲気でしたね。何日も何日もカメラを回すことなく、観察を続けていました。焦点を絞り、カメラを回す決断。どこで養われたのでしょうか。そして視野にごみ一個あっても取り直し、構図とか視野の美しさを非常に大切にされていました。できあがった映像は美しくまた説得力がありましたね。フィルムの時代ですから、現像しなくては小林さんと言えども結果は分かりません。スタッフの苦労は大変なことでした。

映像にナレーション、音楽、テロップがあると邪魔ではないですか?
でも、ここにテロップがあると、分かりやすいですけどね。
とは、小林さんと映画を編集する時、いつもやり取りされる会話でした。

映像の観方、興味、関心、それぞれの人、立場によって違いますよね。その時、余計なナレーション、テロップなどは、制作者の考えを押し付け、観る人を縛り、観察能力を妨げるのではと?

小学生から、専門家まで多種多様の人が映画を観た結果、それぞれの結論があっていいのですよね。また時には何も得られなくてもいいのでは。
観察し、考え、それぞれの結論を導き出すことが大切なんですと。
本当に小林さんの作品には、映像中のテロップも少なく、音楽も極度に抑えられていると思いませんか?

唐突ですが、小林さんの映画論、最近の騒がしい教育論に重なりませんか? 詰め込みだとか、ゆとり教育だとか。
小林さんであればどんな教育論を展開されるのでしょうね。

小林さんは素人でありながら、2人の子供さんを世界的な音楽家に育てられ、また多くの科学映画を制作し、幾多の映画制作者を立派に育成されたのですから。小林さんの話を2度と聞く機会がないのは大変残念です。

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