モノクロ 25分 東北文化財映像研究所紹介作品
大正末期(大正11年以後)、水澤町関係者により撮影され、後藤新平と斉藤實に贈呈された映画と想定される。
なお後藤新平の甥が椎名悦三郎。
ジープを使った大掛かりな活動撮影隊により、本格的な製作(東京シネマ新社代表・岡田一男氏のお話によると、コダックから16mmカメラが1923年に発売されたとのこと)。同様の映画は後藤新平記念館にも所蔵されているらしい(記念館関係者)。相当初期の映画で、地元の大金持ちが映画制作に取り組んだものと思われる。
内容は神社の映像から始まるが、神社名は駒形神社。次いで日高火防祭。水澤は大火に見舞われ、佐々木佐五平を東京に送り、消防隊を結成(1775年前後)。ここから日高火防祭が始まる。300年前からの祭りで、京都の祇園祭りの小型版のような有名なものらしい。映像はこの祭りを詳細に映し出している。
画面は一変して、緯度観測所の様子を詳細に映像化、台湾地震の記録が見られる(大正11年)。これらの施設は国立天文台へと。詳細な内容については問い合わせ中。
当時相当栄えた町であることが想像される。人力車が走り、自動車も1台見かける。三陸銀行など3銀行の看板が見られる。
(1)三陸銀行
大正10年に水沢貯蓄銀行から改称(名称変更)した銀行である。
その後、昭和4年に岩手銀行に合併されたので、
大正10年~昭和4年の間の映像であること。
(2)水沢銀行
昭和2年に岩手銀行に合併。
(3)盛岡銀行水沢支店
昭和6年に廃業。映像は少なくとも昭和2年以前の映像
(銀行に関する情報は、副管理者武蔵氏より)。
水沢銀行内で1万円の定期預金の証書が(大正11年)撮影されているので、大正11年に撮影されたと推定される。当時の1万円は想像しがたい金額、いとも簡単に定期預金に(現在の1億円相当とのこと)。銀行入口の看板には勧業債券の売り出しが、1903年には日本銀行から発行されているようである。
この映画は、東北文化財映画研究所・阿部氏のご尽力により、
配信しています。