科学映像館(Science Film Museum)は、2004年4月に、その前身であるWebサイト「骨の健康づくり委員会」から生命科学映画17作品の無料配信を行ったことにはじまります。そしてこの度、2018年6月には1000作品を配信するまでに成長いたしました。この間、2007年4月に本館の企画運営を支える「NPO法人科学映像館を支える会」が設立され、また、2013年2月には国立国会図書館に科学映画を納品するなど、その内容、品質の高さも証明されています。今回、1000作品を無料配信できたことに、これまでに本館を支えてくださった関係者、関係企業、映像制作会社などの協力や個人並びに協賛企業の寄付に支えられてきたことに感謝いたします。
今後も教育、自然、生命科学、人体、医学・医療、食品化学、工業・産業、農業・漁業・暮らし、社会、芸術、祭り、神事など多くの分野の優れた作品を公開していく予定です。
これらの作品から生命のそして科学の不思議、神秘、美しさ、巧妙さ、自然を背景にした人々の暮らし、祭り、神事そして工業・産業の発展などをご堪能して頂ければ幸いです。
今後とも末永くお楽しみください。
科学映像館の配信映画1000本達成、心よりお祝い申し上げます。
私が科学映像館の存在を知ったのは、日本通運㈱が企画した「68の車輪」(東京シネマ)、「花ひらく日本万国博 EXPO‘70」(電通・電通映画社)という2作品の配信許可の問い合わせを、平成23年(2007)に現・理事長の久米川正好先生から頂いた際のことでした。私の勤務する物流博物館は、日本通運㈱の企業博物館として、同社の所有する歴史的資料の保存・管理・公開を行っており、フィルム資料もその中に含まれているため、そうしたご連絡を頂いたわけです。久米川先生からお問い合わせを頂いたのは、館でも所蔵フィルムのHDデジタル化に着手したばかりの頃でした。企画企業としては配信を承諾し、作品が公開される運びとなりましたが、当初はネット配信が持つ意義や可能性について、企業としても博物館としてもまだよく理解できていなかったように思います。
日通では昭和20年代から、PRや業務研修、業務記録を目的としたさまざまな映画作品を50タイトル以上作っていましたが、それらの作品は長い間、活用されず埋もれたままでした。しかし、幸いなことに多くの上映用16㎜フィルムが廃棄されることなく保存されていたため、過去に制作された作品群の概要が判明し、平成10年(1998)に当館が開館して以後、定期的にこれらの作品の上映会を開いたり、また他分野の産業技術映画にも範囲を広げ、産業考古学会と協力して上映会を開催したりしていました。こうした上映会では製作スタッフや関係者をお招きしてお話を伺ったり、また上映後の討論なども可能ですが、とはいえ、小さな博物館での上映会では映画を観てくださるお客さんの数は限られています。久米川先生からお問い合わせいただいた2作品も上映会で何度か紹介して大変好評でしたが、それ以上の広がりを持つには至りませんでした。
ところが、ネットの力は驚くべきもので、科学映像館での公開後ほどなくして、「68の車輪」にアクセスが集中しているとのうれしいお知らせを久米川先生から頂戴しました。鉄道趣味の人びとの注目が集まったことがきっかけとのことで、その時の久米川先生の高揚したお声は今でもよく憶えています。これはまさかの出来事で、それまでほとんど世間で知られることのなかった作品、企画企業でも忘れ去られ、製作会社でもあまり重要視されていなかったといわれる作品が、あっという間に驚異的な数の視聴者を獲得する「名作」となった瞬間でした。「花ひらく日本万国博 EXPO‘70」もこれに続き、しかもこの2作品で科学映像館を知った方々が他の配信作品も視聴する結果となり、両作品は初期の科学映像館の再生回数を牽引する2つの車輪となったと伺っています。
「映画は観られなければ価値がない」とは、久米川先生から常々伺うお言葉のひとつです。映像作品のネット公開については、著作権はもちろん場合によっては肖像権の問題なども生じ、1作品を公開するだけでも多くの時間と手間がかかります。それだけに1000作品を突破した膨大な配信作品の存在感は本当に大きなものがあります。平均して一週間に2本、デジタル化された作品の公開が行われていることはまさに驚異的で、科学映像館の先駆的な偉業はさらに各方面で認識されるべきであると考えます。それにつけても痛感されるのは、さまざまな困難を突破してこられた久米川先生の尽きることのない情熱とお力です。科学映像館の今後の益々のご発展を祈念してやみませんが、同時にこれだけの偉業が、公的機関ではなく久米川先生という一個人が牽引するNPO法人によってしかなされなかったことを、私たちはよくよく考えなければならないとも思います。当館も例外ではありませんが、各地域の博物館、図書館などで製作または所蔵されている映像作品の科学映像館での公開についても、なかなか進まないのが現状と思います。しかし、1000作品の無償公開が多くの計り知れない実りをもたらしているという現実を無視することはできません。過去の映像をどのように未来に遺し活用していくべきか、これからの映像利用のあるべき姿を考える上で、科学映像館が私たちに課した課題を真摯に認識することが、なによりも重要だと考えています。
これからもさらにより多くの方々に、科学映像館の活用が広がって行くことを祈念しております。
2002年頃の話になります。科学映像の製作プロダクションに所属していた私は、ホームページの作り方を勉強していました。「ホームページの作成おまかせください。」という業者は沢山ありましたが、潤沢な予算のないプロダクションでしたので、自分達でウェブサイトを立ち上げる事を目指しました。
HTML言語やスクリプト言語などのインターネット関連の知識を学ぶ中で、動画配信という技術があることも知りました。当時、本格的な動画配信は高速インターネット環境が必要なこともあって、大変コストの掛かる物でしたが、小規模ながら自前でストリーミングサーバーを構築するという安上がりな方法もありました。自社作品をインターネットでアピールする目的に加え、技術的な興味もあって、2004年頃から取り組みを始めました。
アナログ映像からデジタルデータへの変換、配信データへのエンコード作業、画面サイズや圧縮率の設定など試行錯誤の繰り返しでしたが、320×240ドットという小さな画面ながらダウンロードできないストリーミング動画配信が出来つつありました。
2002年に、久米川先生は骨の健康づくりをテーマに啓蒙活動を行う「骨の健康づくり委員会」を設立されました。私は1982年に製作された科学映画「The BONE」にスタッフとして参加して以来、久米川先生とご縁が続いており、途中から骨の健康づくり委員会ウェブサイトの管理運営業務に参加することになりました。
しばらくして、私たちの動画配信への取り組みを知った久米川先生は興味を示され、著作権問題をクリアしやすい公開セミナーを手始めに、2005年から骨の健康づくり委員会ウェブサイトで動画配信を始めることになりました。
当時は、映像作品をインターネットで無料で公開する点において、大きな抵抗がありました。私たち有志が短編映画の製作プロダクションに対して、第三者機関による映像作品のインターネット配信を呼びかけたこともありましたが、賛同は得られませんでした。自社の利益にならない。大方の反応はそういうものだったと思います。また、短編映画といえども一部を除く大多数はスポンサード映画であり、著作権の問題でも企業側と足並みが揃う場面は少なかったかも知れません。この頃に、YouTubeのサービスが始まりましたが、短編映画業界の反応は似たようなものだったのではないでしょうか。
私は知人や親戚のために、スクリプト言語を使ってホームページにアクセス制限をかけてグループ内視聴を実現する仕掛けを作ったり、英語版の作品を動画配信する際に、英語のナレーションに同期して日本語のテロップを挿入する技術を考えたりしていました。
そうした状況の中で、久米川先生は精力的に製作会社やスポンサー企業と交渉を続け、徐々に風向きが変わってきます。骨の健康づくり委員会から配信される科学映画の作品が少しずつ増えていくと共に、視聴者の数も増えていきました。
私がお手伝いできたのはここまででしたが、久米川先生には、使命感に加えて風に乗るという確信があったのでしょうか。規模の拡大に合わせて、動画配信専門業者の協力も得られるようになり、2007年には、「NPO法人科学映像館を支える会」を設立され、2018年の今、動画配信数1000本を誇る科学映像館の礎を築くことになりました。
願わくば、来る2020年を契機に、科学映画、記録映画の分野が活況を取り戻しますように。数多くの新作が科学映像館に収蔵される時が来ることを願って止みません。
科学映像館、1000作品の快挙、誠におめでとうございます。そして、お疲れさまです。また、大変にありがとうございます。映像という視覚の力は、万の言葉にもまさり一瞬で正確に伝えます。これからもお元気で、益々のご活躍と仕事の成功をお祈りいたします。
また、これまでの道のりに対しまして、先生の情熱と地道な粘りと、青年の如き執念に対しましても僭越ながら、敬意と感謝を込めて、かさねてお慶び申し上げます。本当におめでとうございます。
さて、久米川先生とは、四国美馬市の国見先生との縁で、ご親交を頂いております。以来4年間いつも、美馬の地を、そして私達の活動を心に留めていただき、感謝しています。その上に、何度も電話やメールで様々なご指南・ご指導を賜り感動で言葉もありません。私達は、今までもこれからも、先生を師匠と定め、先生の背中に学び「生涯現役・生涯青年」の気概で四国の地で活動を展開してまいります。
我らの天地、四国より。『世界の徳島』を旗印に美馬市小星を世界へ発信。小さな星の大きな希望!小星。111世帯の住民が美馬市をそして、四国を元気にします。引き続きのご指導、ご指南をお願いいたしまして、お祝いとお慶びの言葉にかえさせて頂きます。
科学映像館の皆さん、久米川先生バンザイ。大変におめでとうございました。
2018年7月15日