1000作品公開に当たって -6-

野尻湖ナウマンゾウ博物館館長 近藤洋一

野尻湖ナウマンゾウ博物館<br />

野尻湖ナウマンゾウ博物館

 

野尻湖の発掘の記録映画を、保存し公開したらどうかと久米川さんからお話があったのは、もう15年ほど前になりますでしょうか。電子データに変換して永久保存したいという申し出でした。こうした記録映画の保存については危惧していましたので、とてもいい申し出だと思いました。野尻湖発掘調査団のなかで相談し、映画製作者会社の了解が得られればいいのではないか、ということで、作業にとりかかっていただくことにしました。

聞くところによるとすぐに承諾をもらえるところは以外に少なく、ほかの映像資料を保存公開するには、著作権の問題などたいへんなご苦労があったといいます。こうした苦労をのりこえ、保存の作業を地道にすすめられて、なんと1000本の科学映画の保存・公開に達したというから驚きです。並大抵のご苦労ではないことは容易に想像できます。心からお祝い申しあげます。

こうした活動は周囲の理解が得られるまで時間がかかります。しかし、ここに集められた映像は誰かがやらなければ失われていく貴重な資料ばかりです。この活動は地味ですが、日本の科学教育に今後大きな足跡を残すことは間違いありません。ぜひこれからも続けていかれることを切にお願したいと思います。

 

沖縄アーカイブ研究所所長 真喜屋力

沖縄アーカイブ研究所所長 真喜屋力<br />

沖縄アーカイブ研究所
所長
真喜屋 力

 

科学映像館、1000本配信の快挙!おめでとうございます。科学映像館の事業をモデルに私たちも沖縄で『東アジア映像館」を立ち上げ、県内の記録映画を配信していましたので、映像の無料公開を続けていくことはけして楽なことでないことは身にしみています。1000本配信にいたるまでの久米川さんの苦労は、お話では何度かお聞きしましたが、その言葉の数倍の努力、そしてチャレンジが繰り返されたことと感服しています。

私たちも現在は、収集対象を地元の一般市民が撮影した8ミリフィルムの保存に切り替え、そのデジタル化、無料公開を行うという新たな領域にチャレンジしています。この度は科学映像館でも一部8mm作品を紹介していただけることになり、それもまた大きな励みになっています。

これからも我々のような地方で映像アーカイブを構築する人間の目標として、科学映像館が発展、継続していかれることを願っています。

 

有限会社リュウワ印刷社長 沼本和裕

有限会社リュウワ印刷社長 本和裕<br />

有限会社リュウワ印刷
社長
沼本 和裕

 

NPO学映像館を支える会の1000作品配信達成に心からお祝いを申し上げます。弊社は、2002年に久米川理事長が大学を退任された時からお付き合いをさせていただいています。

2007年の『生命誕生』パンフレット作成に携わって以来、久米川理事長がフィルムのデジタル化、配信ホームページの運営などの資金調達に大変なご苦労をなされていることを見聞きしてきた者としては、ここまでの道程に感慨深いものがあります。

数年前、科学映像館の事務所で久米川理事長と映像作品『振動の世界』を閲覧していた時、外国の橋が大きくうねり崩落する場面がありました。その時、私の脳裏に学生時代、機械振動(共振)の授業中に視聴覚室で、全く同じ映像を見た記憶がよみがえりました。30年以上前に授業の教材として使用されていた映像が、新たにデジタル映像として閲覧できることに、NPO法人科学映像館の素晴らしさを感じるとともに、自分自身の青春時代がよみがえってきた感覚を覚えました。

また、映像や印刷においても著作権がうるさく言われる昨今におきまして、科学映像の誰でも閲覧できるという画期的な運営をしておられるNPO法人科学映像館には、印刷に携わる者として頭が下がります。

こうして1000作品配信の日を迎えられたのも、ひとえに久米川理事長のお人柄あってこそのことと存じ上げます。今後も、作品配信へ貢献して下さいますことを心よりお祈り申し上げます。

 

理事長久米川の孫 杉田光綺

理事長久米川の孫 杉田光綺<br />

理事長久米川の孫
杉田 光綺

 

この度は科学映像館の1000作品公開、誠におめでとうございます。
そうそうたる顔ぶれの中大変恐縮ではありますが、一ファンとして祝辞を述べさせていただきます。

早々に種明かしをしますと、私はNPO法人科学映像館を支える会理事長・久米川正好の実の孫に当たります。ですので、科学映像館様そのものとのかかわりはそれほど深くなく、むしろその企画運営を行ってきた祖父と関係の深い人間ということになります。恐らく祖父が私に話を持ち掛けてきた魂胆もそこにあると思われますので、孫として祖父孝行も兼ねましてそのあたりの裏話をしようかと思います。

科学映像館発足の話を聞かされたのは、確か私が小学生の頃だったと記憶しております。それまでの祖父像というのは、なんだかちょっと凄い研究をしていた元大学教授というものでしたので、インターネット上とはいえ映像館運営なんてできるのだろうかというのが正直な感想でした。しかしあれよあれよと話は進み、気づけば運営は軌道に乗っていたのですから流石というより他ありません。

祖父は電話が本当に好きな人種で、科学映像館の誕生後はとにかく、やれ「これこれこうした作品が公開された」だの「再生数が〇〇回を突破した」だの「××から資料として使わせてほしいという話がきた」などなど、子供の成長を喜ぶ親のように嬉しそうな声でいろいろな報告をしてきました。初めのうちは、退職後の暇つぶしができてよかった程度に思っていたのですが、作品数や再生回数の増加、さらには「国立国会図書館デジタルコレクション」に登録とかApple社のiTunesUに掲載など段々と内容が本格化していくたびに、「とんでもないことになってきちゃったぞ」と思うと同時に、祖父の年齢を感じさせない行動力とパワフルさに驚かされてきました。

ただそんな祖父にも壁がなかったわけでなく、幾度か苦しんでいる姿も見ています。例えば、祖父は機械類に弱く、事務所のパソコンやプリンターの調子が悪くなっては主に私の父と時々私が修理や調整に駆り出されました。運営資金の面でも悩む時期があったらしく、行き詰っているような話をもちろん電話で聞くこともありました。

しかし、ここで倒れたままでは終わらないのが祖父の強さであり見習うべきところなのでしょう。資金の問題は人脈をフルに活用し思いもよらぬ解決方法を編み出し、事実なんとかしてしまいました。日頃、「人生は出会いが大切だ」と口を酸っぱくして言っている祖父ならではのやり方でしょう。パソコン操作も老いて益々盛んと言うべきか、独学でPowerPointの使い方の研究を始め、ついには自分で発表用のスライドを作成するに至りました。

こうした祖父の働きを見ていますと、パワフルな人は何歳になってもパワフルなのだなと思い知らされるばかりです。自分で言ってしまうところだけがやや残念なのですが、「この歳になって新しいことにチャレンジし続けるなんて凄いでしょ」とはまさにその通りだと思います。最近では科学映像館の活動を知って将来を決めたという若人も現れたらしく、甚だ感心するばかりです。

今回は1000作品の公開という節目のお祝いでしたが、祖父のことならば1000とは言わず1500でも2000でも続けていくのだろうと思います。科学映像館の皆様や、関係者各位の皆様には、時に祖父のありあまるパワフルさがご迷惑をおかけすることもあるとは存じますが、優しく時には厳しく支えていただければ幸いです。何卒宜しくお願い致します。

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