1000作品公開に当たって -3-

ヨネ・プロダクション代表取締役 藤枝愛優美

ヨネ・プロダクション代表取締役 藤枝愛優美

ヨネ・プロダクション
代表取締役
藤枝 愛優美

 

2007年の科学映像館立ち上げから11周年、おめでとうございます。

そして、ヨネ・プロダクションの先代の社長大沼鐵郎氏が科学映像館の立ち上げ当時から協力させていただき、ヨネ・プロダクションの過去作品を多くデジタル化していただいたこと、御礼申し上げます。

フィルム作品の多くは16ミリのプリントとして製作配布されており、一般の視聴者が鑑賞するのは大変難しい状況であったところ、インターネットの有利性や便利性、国際性にいち早く眼を付けられてこの公益な法人を立ち上げられた事、非常に素晴らしい事と思います。

当時のインターネット状況は現在とは比べ物にならない程、貧弱であり、また一般にもまだまだ浸透していなかった中、国会図書館や管轄各機関や地域役所に直にお話に行く、という行動力を示された久米川先生は、現役の頃の科学者、教育者とはまた違った新たな才能を発揮開花された、と遠くからただただ、感心しておりました。その地道な活動が現在の科学映像館の膨大なライブラリーとなり、一つの日本の知的映像財産として誇れるものに成長しました事、本当におめでとうございます。

映画製作会社は、撮影技術の変遷によって、大変に苦しい状況に置かれており、貴重な映像が散逸することも多々あったかと思うのですが、科学映像館の様な機関がある事により、救われて一般の人たちがインターネットさえつながっておれば、誰でも鑑賞できる様になっている事は本当に素晴らしい事と思います。

今後は、貴重な映像を所蔵、公開するだけでなくさらにその映像から新たな情報を引き出し、次の世代に伝えて行く~そんな作業も必要になっていくのではないでしょうか。その時もまた、久米川先生が中心になってさらに充実して行く事を願っております。

 

ヨネ・プロダクション 研究部 淺香時夫

ヨネ・プロダクション 研究部 淺香時夫

ヨネ・プロダクション 研究部
淺香 時夫
『生命誕生』生物試料担当

 

科学映像館設立11年、また上映1000作品のご達成、おめでとうございます。上映作品の一つ「生命誕生」の製作に携わったスタッフの一人として、心よりお祝いを申し上げます。

「生命誕生」は、1963年、東京シネマ社で、企画・製作した科学教育映画で、ニワトリの発生をテーマに、ほぼ全編、顕微鏡映像でまとめたドキュメンタリー作品でした。当時は、まだ科学映画の黎明期で、とにかく世の中にアッといわせるような作品を作ろうということで、スタッフみんな、労することも厭わず、日々製作に没頭していたことを思い出します。

私が、この作品で特に見ていただきたかったのは、胚盤上に、双胎が形成されている場面です。体形成部位の横に別の個体から採取した原条を植え込み「双胎」を発生させたシーンです。つまり、鶏胚の場合は原条に個体形成の原基が存在するという一つの証明なのです。ただ1963年当時の動的観察は、まだこの様な現象が発生学的発見の一つでしかありませんでした。この後、科学映画は、数々の優れた作品が作られるようになり、医学会の様々な発表の場において科学実験映像が高く評価されるようになりました。

「生命誕生」は、製作から55年経過した作品ですが、館長、久米川先生のご尽力のおかげでハイビジョン化され、決して半世紀前の作品とは思えないすばらしいクオリティで甦ることができました。私としてもこれほど嬉しいことはありませんでした。その喜びは、上映後、早々に久米川先生にお伝えいたしました。

過去の様々なジャンルの優れた映像作品を復活させる、このような地道な活動が、今、人々が忘れかけているわが国の貴重な産業、文化を見直し、また科学に対する優秀な人材を育んでいく上で大変重要な役割を果たしているということを改めて認識しているところです。

末筆ながら、科学映像館の今後のますますのご発展、及び久米川先生の今後のより一層のご活躍をご祈念いたします。

 

東日本医療大学 名誉教授 田隈泰信

東日本医療大学 名誉教授 田隈泰信

東日本医療大学
名誉教授
田隈 泰信

 

埋もれた科学映像の発掘と再生にかける久米川先生の情熱に、まずもって深甚なる敬意を表したいと思います。

世の中は公文書の保存と管理という基本的な問題にようやく関心を示しはじめたところですが、久米川先生の先見性は、いつも私たちの想像の範囲をはるかに超えています。
倉庫や蔵の片隅でほこりをかぶり、カビと化学反応で朽ち果てるにまかされている、貴重な科学映像を発掘し、自由に誰でも見られるネットのライブラリー創るという発想は、国会図書館にもありませんでした。プロジェクト・グーテンベルクや青空文庫が本の分野で展開している事業を、科学映像の世界へと一挙に広げる、きわめて野心的なプロジェクトです。

発掘されたフィルムのクリーンアップやデジタル化には、多大な費用がかかりますが、広く浄財をつのる方法にも、先生の素晴らしく斬新なアイデアが、随所に生かされています。
新分野を開拓された久米川先生のフロンティア・スピリットとこれまでのご努力に深く敬意を表するとともに、科学映像館の成功と1000作品の発掘・再生の偉業達成に、心からお祝い申しあげます。

 

岐阜大学大学院医学系研究科 准教授 手塚建一

岐阜大学大学院医学系研究科 准教授 手塚建一

岐阜大学大学院医学系研究科
組織・器官形成分野 准教授
手塚 建一

 

久米川先生

まずは1000作品公開お疲れ様でした。

一番印象に残っているのは、「福島の原子力」です。2011年、未曾有の大震災でメルトダウンを起こした原発が、建設当時の妥協無い最先端の安全技術で作られていた事を、映像は冷静に記録していました。溶接のわずかな亀裂も見逃すまいと、手作業で検査をする作業員の姿から、当時わずかでも手抜きがあったら、さらに大きな惨事になって、日本は滅びていたかもしれないと感じました。

大企業のバックアップ無しに、ご自宅での草の根活動だけで、これだけの事ができるのだと、勇気づけられました。これからも、先生が保存した1000を超える作品は、人類の財産として、長く残っていくことと思います。

 

東京医科歯科大歯学部 准教授 田畑純

東京医科歯科大歯学部 准教授 田畑純

東京医科歯科大歯学部
准教授
田畑 純

 

私の育った北九州市は八幡製鉄所の「まち」で、さまざまな関連会社もあって、多数の工場からさまざまな色の煙がのぼっていた。今から思うと信じられないことだが、市民は「七色の煙」と自慢し、活気のあらわれと受け取っていた。煙の成分は、煤煙となって市のあらゆるところに降り積もった。電線の上にさえも4-5cmも積み上がり、それが堅く固まっていた。市民の健康をむしばんでいたのは確実で、修学旅行の夜、喘息発作に苦しむ級友たちに驚かされたことがある。高度成長時代であったから、どこでも似た様なものだったのかもしれない。だが、その時代の主役であった私の父たちは、戦争の荒廃から立ち上がり、働くことに幸せと誇りを持っていた。給料を得て、家族を養い、田舎の両親や妹弟たちをささえ続けた。そうした空気が昭和に作られたさまざまな産業映画を見ているとよくわかる。私にとっての昭和の空気は煤煙の混じった空気であるが、懐かしくも思うのである。

東京医科歯科大歯学部 准教授 田畑純

さて、今回、科学映像館がついに1,000作品に到達した。2007年4月にスタートした久米川正好先生のプロジェクトであったが、「科学」にとどまらず、産業、文化、自然など、あらゆる記録映画の保存へと展開した結果である。膨大な時間と労力の結果である。映像の語るものは大きい。先生の偉業である。

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